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2006年12月31日 (日)

いーちゃん

いーちゃんとは、母方の祖父のことだ。

おじいーちゃんだから「いーちゃん」。

十三人兄妹の末っ子だったにも関わらず、名前は一男。

ちなみに母方の祖母は、おばあーちゃんだから「あーちゃん」。

物心ついた頃からずっと、二人のことをそう呼んでいた。

おそらく、父方の祖父母の呼び名が「おじいちゃん」と「おばあちゃん」だったので、区別をつけたかったのだろう。

いーちゃんは笑顔が本当に素敵。

老人介護施設の皆さんも、お通夜とお葬式に来てくださった方々も、そう言ってくださった。

水道屋になる前は、映画館の看板の絵を描く仕事をしていたらしい。

とても手先が器用で、絵だけでなく字も上手く、タップダンスも踊れたとのこと。

格好いいなあ。

あーちゃんが言うには、タップダンスの練習したのは女の子にモテる為だったようだ。

やっぱりな。

競艇に狂い、ろくに働かず、奥さんと娘に相当な貧乏暮らしをさせたこともあったらしい。

一家三人の晩ごはんが、アパートの隣人がくれたポテトチップスの一袋だった、なんてことも。

残念ながら俺は、水道屋になってからの、真面目に働くようになったいーちゃんしか知らない。

将棋が強くて、車の運転が上手くて、煙草と珈琲とアクション映画とゴルフと巨人が大好きで、優しかったいーちゃん。

いーちゃんには沢山、色々なところに連れて行ってもらった。

近所の公園、レンタルビデオショップ、ディズニーランド、健康ランド、熱海、ハワイ、などなど。

朝の挨拶は笑顔で「おはようござぁい」だった。

朝以外の挨拶は、やはり笑顔での「よう」。

水道屋の事務所での朝ごはんは、トーストと珈琲とバナナと決まっていた。

成人式の為にと、スーツを買ってくれた。

狭心症だからと、医者や家族に煙草を止められても絶対にやめなかった。

なのに今から十二年ほど前、孫である俺の姉が重い病気にかかった時には「願掛けに」と、煙草を吸うのをすっぱりとやめてしまった。

病室で姉を見舞った時の、いーちゃんの真剣な表情を今でも覚えている。

そんないーちゃんが数年前から認知症になった。

昔のことは本当に良く覚えていたが、徐々に、普段の生活に支障をきたすようになっていった。

トイレの蛇口をひねることすら、ままならなくなってしまった。

身体的な問題ではなく、脳が蛇口を蛇口だと認識することが出来なくなったのだ。

「水道屋なのに、どうしようもねぇなあ」と苦笑していた。

目の前にスリッパがあるのに履けない。

深夜に何度も起きて徘徊してしまう。

いつのまにか家の外に出て行き、迷子になってしまう。

実際にはいない人が見えてしまう。

それでもいーちゃんは、優しいままだった。

足腰が弱くなってからは車椅子に乗るようになった。

車椅子に乗り、飼い犬であるポメラニアンの小次郎と家族と一緒に散歩に出掛ける。

なのに帰りには、小次郎が乗った車椅子をいーちゃんが押して帰って来たりした。

この一件は家族の中で、笑い話となった。

そんないーちゃんが、12月18日の夜に亡くなってしまった。

78歳だった。

いーちゃんが亡くなってからというもの、どうしても、後悔ばかりの自己嫌悪に陥ってしまう。

もっといい孫でいられたはずなのにと思う。

今までありがとう、いーちゃん。

大好きです。

2006年12月29日 (金)

とばちゃん

とばちゃんは、母方の祖母のお姉さんだ。

名前を登美という。

登美おばあちゃんだから「とばちゃん」。

お洒落でユニークでSMAPが大好き。

薄毛を気にはしていたけれど、とても気持ちの若い女性だった。

とばちゃんがノーメイクの時にケータイで写真を撮ろうものなら「たーちゃん、それ、消してね」と真顔で言われたものだ。

「うん、消すよ」だなんて嘘をついてごめん。

とばちゃんは旦那さんに先立たれており、産んですぐに亡くしてしまった子供がいた。

その為、姪っ子である俺たちの母親のことを昔から、自分の娘のように可愛がっていたらしい。

俺や姉や妹も子供の頃から、本当の孫のように可愛がってもらっていた。

とばちゃんは、自身の誕生日である9月6日の夜、急に体調を崩し、その一週間後の深夜には救急車を呼ぶような状態となってしまった。

搬送された病院の医師から「あと数時間が山です」との説明があり、それを母親と二人で受けた。

ショックだった。

とばちゃんには、本当の病状は教えられなかった。

母親は泣きそうになりながらも、明るい声で「おばちゃん、絶対に治るから頑張ってね、また一緒に旅行に行こう!」と励していた。

とばちゃんは、その夜を持ち堪えた。

その後、いつ危篤となるかも知れないとばちゃんを、家族のみんなで見舞しに通った。

みんなで持ち寄ったフラワーアレンジメントを病室に飾り、枕元のテーブルには香水やトルマリン鉱石を置き、ベッドにはお守りを括りつけた。

調子の良い時には声を出して笑ってくれたりもしたが、意識はあっても目すら開けられない日が多く、会話もほとんど出来なくなっていった。

そして三週間後、誕生日のちょうど一ヵ月後である10月7日。

祖母と母親と妹と俺の4人で、その最期を看取ることとなった。

89歳だった。

覚悟はしていたけれど、嘘みたいだった。

とばちゃんが亡くなり、医師に「ご臨終です」と言われた直後、母親が泣きながら「おばちゃん、向こうでちゃんと、旦那さんと子供に逢うんだよ!」と叫んだ。

その声が届いたのか、亡くなったとばちゃんの目から、涙が一筋、零れ落ちた。

悲しくて仕方なかったが、とばちゃんの最期の涙は、母親に対する感謝の涙だったと思いたい。

今までありがとう、とばちゃん。

大好きです。

2006年12月 8日 (金)

謎の答え

夕方、新宿で待ち合わせ。

先日の「10分間だけ会えない?」という謎メールの差出人は、青年座の小豆畑雅一さんだった。

「小豆畑さん、どうしたんですか、今日は」

「ふふふ」

「えー、なんですかもう、まあ、あれから僕なりに色々と想像してみたんですけどね」

「いやいや、そのどれとも違う自信があるよ」

「ホント、どの答えにも自信が持てなくて、え、なんでですか?」

「まあ、そんないいことってわけじゃないんだけど、実はね…」

その内容とは、青年座通信という会報に載せる為の、小豆畑さんへの寄稿文の依頼だった。

光栄っす!

「フロント」というコーナーに載せて頂けるとのことなので、お手にするようなことがありましたら是非、お読みくださいね。

そして、夜はラズカルズの劇団稽古。

俺が用意したイギリスの劇作家の抜粋台本を、マジリンとチュウキで。

で、俺は演出に回った。

まずは台本に目を通してもらい、本読み。

そして関係性についてのディスカッションに時間を取り、イメージが湧いてきたところでもう一度本読みをし、立ち稽古を重ねた。

有意義な稽古が出来たと思う。

また続きをやろう。

2006年12月 7日 (木)

謎めいたメール

昨夜、以前ご一緒したことのある大好きな役者さんから、謎めいたメールが届いた。

内容を要約すると、

「10分ほどで済むことなので、どこかで会えないか」

とのこと。

そんなメールは初めてだ。

メールや電話では駄目で、直接会いたい、けれど10分ほどでいい、だなんて。

謎だ。

でも、あえて内容は尋ねなかった。

なんだか面白かったので。

想像力を刺激される。

明日の夕方にお会いすることになった。

楽しみだ。

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上の写真は朝、バス停の近くにある神社にて、パンをかじりつつ撮ったもの。

綺麗。

冬、かじかむくらい手が冷えると、水でさえ温かく感じることがある。

あるある。

2006年12月 4日 (月)

葛藤

TSUTAYAでレンタル料の割引キャンペーンをやっていた。

1枚借りて210円、5枚借りたら1050円。

DVDを6枚借りようとし、お金を支払う時に気がついた。

割引の対象が「CDのみ」となっていたのだ。

はめられた。

いや別に、はめられてなどいない、誰にも。

薄々、変だなとは思っていた。

つい昨日までの1日から3日までがDVDの割引キャンペーンとなっていて、実は俺、1日に借りたばっかりだったので。

元々それを返しに来たつもりが、キャンペーンのポスターを見て、

「あ、キャンペーン延長したんだ」

などと勘違いしてしまったのだ。

ああ、1050円のはずが、2520円の出費になってしまう・・・

せこい話だが、ショック。

1470円の差は大きい。

倍以上の金額だもの。

金銭的にもだけど、なんだか精神的にも損だ。

ショックの余り、店員さんの前で思わず、

「あ、割引はCDだけなんだ・・・」

と、ちょっと聞こえよがしな独り言を漏らした俺。

それを聞いた店員さんは、

「・・・あぁ、はい」

と困惑気味だった。

そりゃそうだ。

しかし考えてしまった。

割引でなければ、TSUTAYAよりも近所のレンタルショップのほうが幾らか安い。

TSUTAYAで借りるのはやめにしてはどうだろう。

別にどうしてもすぐに観たいDVDというわけでもないのだから、と。

しかしまた考えた。

わざわざ店員さんがレジを打ち、DVDを青いキャリーバッグに入れてくれた。

俺が勝手に勘違いして借りようとしたせいで。

あとは俺がお金を支払うだけという段階で、それをなしにして6枚のDVDを戻させるのか。

自分が犯した過ちのしわ寄せを、なんの罪も無い店員さんに食わせるのか、と。

葛藤。

まあ借りたのですが、結局は。

金よりも大事なもんがあるんだぜ、と。

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今夜は満月。

2006年12月 1日 (金)

恭子さんと不思議なイルミネーション

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夜、佐藤恭子さんと新宿の南口にて待ち合わせ。

あのサザンテラスの辺りって今、クリスマスチックなイルミネーションで綺麗ですね。

綺麗な上に面白かった。

なんだか不思議な電飾で、ひとつひとつの光がぼやっと丸く広がって見えるんです。

どういった仕掛けなんだろう。

でも、それ以上に面白かったのは、その電飾を見た恭子さんが、

「すごいすごい、ぼやって丸になってる~! ほらほら、なんでだろ、目がおかしいのかなあ!?」

と、少女のように興奮していたこと。

キュートでした。

で、それからイタリアンレストランで食事っす。

マクドナルドなんかのファーストフードだと、店員さん同士で、

「ポテト揚がりました!」

「サンキューです!」

みたいなやり取りをしていますよね。

今夜のイタリアンレストランでもやはり、日本人の店員さんたちが元気良く、そういったやり取りをしておりました。

イタリア語で。

会話の内容はさっぱりわかりませんでしたが、なんだか楽しかったです、巻き舌が。

行ってみたいな、イタリア。

ヨーロッパだったら一番に行ってみたい国だ。

特に根拠はないんですけど、惹かれるのです。

きっと前世が、イタリアの伊達男だったからでしょうね。

チョイ悪の。

友達に最近、一緒に行かないかと誘われたのですが、お金がないので叶いませんでした。

まあ、男と二人で行ってもな、といった気持ちもあったのですが。

さてさて、今夜は恭子さんとデキャンタのワインなんぞ飲んでしまいました。

お酒には詳しくないので良くわかりませんが、デキャンタの中に果物が、グラスの中には氷が入っていて驚きました。

ワインなのに、って。

なんだかジュースっぽくて飲みやすかったですけど、それでも俺は、ほろ酔いですわ。

食事をしながら、色々と楽しくお話させて頂きました。

発見は、恭子さんがかなりの怖がり屋さんだということ。

寝る時は必ず、小さな明かりを点けていないと駄目なんですって。

いや、それはまだわかるのですが、面白いのが、お風呂に入る時には、部屋でテレビを点けていないと駄目だということ。

風呂場にいたらテレビの画面は見られないし、音も聞こえないというのに。

いやはや俺は、Sな人間なのかもしれない。

というのは、恭子さんが怖がり、必死で逃げ回るホラー芝居をやってみたいと思ったものですから。

リアクション、いい感じだろうなあ、きっと。

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