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2006年7月31日 (月)

イカ墨

午後、池袋のサイゼリアで友人と食事。

生ハムとエビのサラダとイカ墨のスパゲッティとドリンクバー。

イカ墨だなんて食べたら、今よりも余計に腹黒くなってしまうだろうか。

2006年7月30日 (日)

時限爆弾

・・・・・・

2006年7月29日 (土)

黒猫

昼過ぎに両国のシアターXでトムプロジェクトの芝居を観た。

その後、有楽町へと移動。

両国の駅前でもらった団扇でパタパタやりながら。

途中、墨田川の花火大会へと向かう浴衣の人々とすれ違った。

浴衣って風情があっていい。

特に女の人。

で、夕方から有楽町の串焼き屋へ入り、駒塚由衣さんと、これっきりプロデュースの福永友紀さんとカウンター席で食事。

わいわいとおしゃべりしていたら、あっという間に夜10時前になっていて、店を出た時、夕方から一度もトイレに立たなかったことを不思議に思った。

楽しかったということなのでしょう。

帰り道、野良の黒猫を発見した駒塚さんがすかさず近づき、ニャンニャン言葉で激しく可愛がっている姿を見て、福永さんと一緒に笑った。

夜の黒猫って可愛い。

2006年7月28日 (金)

パズル

今日もまた朝から、製作面での連絡を各方面に沢山。

公演の企画書を更に練った。

そしてまた眠れない。

眠りたい時に眠れず、眠ってはいけない時に眠くなる。

悪循環だ。

公演の準備は結構、上手く回ってきているのにどうしてだろう。

潜在的に何かを不安に感じているのかな。

それを見つけ出し、早く潰してしまいたい。

まあ、公演をプロデュースしていく楽しさに、興奮しているせいかもしれないけれど。

物事を具体的に、自分のしたい形にしていくという作業は単純に好きだ。

今現在は、パズルを組み立てている、というよりも、パズルのピースをひとつずつ作っている、というような感覚。

さっさと組み立て作業に入って遊びたいものです。

でもまた興奮しちゃうのかなあ。

2006年7月27日 (木)

外堀

朝から製作面での連絡を沢山。

ようやく、外堀が埋められてきた。

少し安心。

早く台本だけに集中したい。

2006年7月26日 (水)

夏の風物詩

徹夜明けだったもので昼間に寝ようとしたが、全く眠れず。

仕方なく早めに外出することに。

19時開演の芝居を観る為、江古田へ。

早くも16時過ぎに到着。

暑さと寝不足のせいか、食欲なし。

にも関わらず、南口にある洋包丁で、なすと肉のしょうが焼きセットを注文。

というか、洋包丁ではこれしか注文したことがない。

大好きなのです。

出された料理を前にしたら、さっきまでの食欲のなさなど、どこへやら。

食後、切れかけた煙草でも買おうかと、街をぶらぶら散歩。

ちなみに今現在吸っているのは、AMERICAN SPIRITの黄色いやつ。

日芸の近くの煙草屋で売っているのは知っていたけれど、わざわざ違うところを探してみた。

が、ない。

他の煙草屋でも自販機でも置いていない。

暑い中を歩き回り、汗だくになった。

腕時計を見ると、開演の時間まではまだまだ時間がある。

そこで、同じ回を観ると言っていた友人に連絡。

「今日、誰かと一緒に行くの?」

「あ、一人です」

「そうなんだ、いや、もう江古田に着いちゃっててさ」

「えー、わたしも早く着いちゃってて、暇だから散歩してたとこなんです」

「なんだそうなんだ、え、今どこ?」

「東長崎です」

「・・・・・・」

江古田じゃないんだ、と軽く驚き、

「じゃあ江古田に着いたら連絡して」

と伝え、ケータイを切った。

その後、北口駅前の喫茶店で待っているのでとメールで連絡。

結局、黄色い煙草は日芸の近くの煙草屋で購入。

実は良くこういうことになる。

煙草以外のことでも、色々と。

友人の到着まで、ノートパソコンで台本書き。

で、散歩の為に少し日に焼けた友人とお茶をしてから、加藤健一事務所のアトリエへと向かった。

伺ったのは、俳優教室生の皆さんのアトリエ公演。

卒業して以来、可能であれば毎年伺っている。

俺が12期で、今回の公演に出演しているのが19期と20期の方々ということなので、きちんとお話をしたことのある方はもういないのだけれど、理屈抜きにこのアトリエ公演というやつが好きなもので。

俺にとっての夏の風物詩。

終演後、演出をされていた星充さん、出演をされていた東養一さん、鈴木幸二さん、増田あゆみさん、猪瀬早紀子さん、宇土美由樹さん、偶然同じ回を観にいらしていた知人の方々に御挨拶。

今年も良い刺激をもらいました。

2006年7月25日 (火)

おちょこ

ここしばらく悩んでいた幾つかの事柄が払拭され、心が晴れた。

ようやく先へ進める。

ひと安心し、睡眠不足だった数日分を取り戻そうと床に就いた。

が、興奮状態の為に眠れず。

なんなんだ。

カモミールの紅茶とか飲めばいいのかな。

それとも運動不足か?

参った。

さて、夜の新宿で、ある男が背後から声を掛けてきた。

カン・チャンヒくんだ。

笑顔。

メールでやり取りしたり、カンくんからの間違い電話はあったけど、顔を見たのは久々だったので嬉しかった。

近況などを数分、おしゃべり。

そう、先日、カンくんから間違い電話があったのだ。

エバちゃんとコーヒーショップでミーティングをしてした時、ケータイに掛けてきたと思ったら、

「松尾?」

だ。

ちなみにカンくんは俺に対して敬語を使ってくれている。

ではもう一度、カンくんの第一声から。

「松尾?」

「え?」

「今日サッカーあんの?」

「サッカー?」

「サッカー」

「・・・えっと、カンくん」

「ん?」

「俺、松本ですけど」

「おお、松尾だろ?」

「ううん、松本」

「は?」

「松本、あの、松本たけひろです」

「・・・松本さん?」

「うん」

「やっべ、すいません!」

と、こんなやりとりをケータイで。

俺の隣の席ではエバちゃんが苦笑。

なので今夜、その件で少しいじめてやった。

にしてもカンくん、俺が俳優事務所の人間だったら絶対にしてるんだけどな、スカウト。

まあ、「チュチュ!」の時にはスカウトしたわけだけど、大学を卒業したら建築家になるみたいだし、彼の将来に責任が持てるわけがないので、俺には無理。

自分自身でさえ、どうにもなれていないのだから。

頑張らねば、俺。

とりあえず、カンくんと共通の知人が始めるバーが開店したら、二人で飲みに行こうと約束した。

俺より全然若いくせに、カンくんの人生はかなり面白いことになっていて、その経験談を聞いた時には、いちいち驚かされたものだ。

遅刻魔なのはアレだけど、彼の将来が楽しみ。

なんか偉い人にでもなって、スポンサーになってくれたら助かるなあ。

などと、人頼みな俺はなんと器の小さな人間だろうか。

おちょこサイズだ。

そうか、おちょことは「お猪口」と書くものなのですね。

いのししのくち。

ぶーぶー。

いやいや、ぶーぶー言ってないで、てめえのことはてめえでなんとかします。

2006年7月24日 (月)

不安定だから

台本書きと製作面でのあれこれ。

Googleやmixiでキーワードを打ち込んで検索しまくったり。

心が不安定だからだろう、寝つきが悪かった。

2006年7月23日 (日)

監禁

ひたすら台本書きの一日。

なんとなく、食事を取らずにいたら身体が弱まった。

当たり前だが、わかりやすい。

飢えた上での食事が、まさに身に沁みた。

別に監禁されてたわけではないのだけれど。

2006年7月22日 (土)

不幸中の幸い

昼間、ベニサン・ピットで流山児★事務所の芝居を観た。

終演後、出演をされていた、さとうこうじさん、劇団員の阪本アツシさん(阪本篤篤改め)に御挨拶。

阪本くんに、

「良かったら買ってください」

と勧められたもので、俺は飲めないのだけれど観劇後のノリで、物販されていたワンカップの酒とワインを購入。

誰にあげようかな。

その後、目白へ。

なんとなく待ち合わせをすることになった友人に電話をした。

「何時くらいに着く?」

「もう着いたよ」

「今どこ?」

「池袋」

「なんで池袋なの」

「だってシアターグリーンでしょ」

「え、アイピット目白でしょ?」

「は?」

チラシを確認する俺。

「げ!」

というわけで、まずは目白駅へと向った。

その道の途中、偶然、橋本なほこさんとすれ違いそうになり、声を掛けられた。

「たけさん?」

「おお、いやあ、かくかくしかじかでさー」

「えー」

「参ったよ」

「じゃあ早く行かないと」

「・・・あ」

なんて。

そして、待ってくれていた友人と落ち合い、池袋シアターグリーンのエリア171で劇工房∮月ともぐらの芝居を観た。

劇場は間違えたが、遅刻は免れた。

もともと時間に余裕を持っていたのと、池袋と目白が至近距離だったことが幸いし、開演の30分前には劇場に到着。

不幸中の幸いでありました。

終演後、出演をされていた照屋実さん、本多由佳さん、浅井伸治さん、萩原孝之さん、藤波瞬平さん、辻野乃子さん、東京パチプロデュースの亀田真二郎さん、偶然同じ回を観にいらしていた知人の方に御挨拶。

そして、亀ちゃんに劇場を間違えたことを報告。

「ちゃんと開演には間に合ったから、でもほら、亀ちゃんの芝居っていえばアイピット目白だからさ」

「いやいや、二回しかやってないから」

と突っ込まれた。

友人と回転寿司に寄り、帰宅。

2006年7月21日 (金)

劇団らしく

夕方、ラズカルズのミーティングをデニーズにて。

メンバーそれぞれの担当部門の進行具合を確認し、話し合った。

その後、コントの稽古。

まずはアップとしてのゲームを30分ほど。

チュウキと俺が提案したものをやり、三回の失敗で罰が与えられることに。

結果、マジリンと俺が失敗し、罰として物真似をやらされた。

軽く赤面。

そして、エバちゃんが書いたコント台本の読み合わせ。

エバちゃんの仕切りのもと、配役や組み合わせを次々と代え、みんなで意見を出しながら。

で、決まった配役で更に稽古。

オチの部分がまだ書かれていなかったので、アイデアを出し合ったり、即興で演じたりした。

煮詰まった時間もあったが、かなり楽しかった。

次回、エバちゃんが改稿した台本で、更に稽古することに。

ミーティングも含めて、なんだか劇団らしくなってきたなあと感じた。

2006年7月20日 (木)

始発待ち

夜、目白のシアター風姿花伝で青年座の芝居を観た。

開演前と終演後に、偶然同じ回を観にいらしていた知人の方々に御挨拶。

終演後には、出演をされていた小豆畑雅一さん、鈴木貴子さんに御挨拶。

そして、演出をされていた磯村純さんと出演者の方々のアフタートークを拝見した。

小豆畑さんの司会っぷりが堂に入っており、アズマニア、満足。

知人の方と二人で目白駅へと向かい、途中、食事をすることとなり、大戸屋へ。

で、ロイヤルホストにも行き、終電までおしゃべりをしていた。

がしかし、とある駅での乗り換えを間違えてしまい、終電を逃した。

知人の方はタクシーで帰宅、貧乏な俺は始発待ちをするはめに。

まあ、漫画喫茶にでも入って寝てればいいか、などと思っていたが、その時の所持金は700円ほど。

始発の時間までは到底持たない。

そこで、コンビニや銀行のATMで金を引き出そうとしたが、俺が口座を持っているマイナーな信用金庫のカードでは、どこでも取り扱いがなく、クレジットカードなんて滅多に使わないものだから、暗証番号を忘れてしまっていた。

結果、やはり700円ほどの金で始発待ちをすることに。

朝、地元の駅から乗るバス代の210円を取っておくとなると、500円くらいしか使えない。

ドリンクバーのあるファミレスで過ごす、という考えもよぎったが、なんとなくそんな気分じゃなかった。

とりあえず、一時間半ほど散歩してみた。

が、雨が激しくなってきたもので、シャッターの閉まっている弁当屋の軒下で、30分ほど雨宿り。

寒かった。

ついに決心し、漫画喫茶へ。

15分で105円だったので、1時間だけの滞在。

外に出ると、まだ雨が降っていた。

始発まであと1時間。

所持金は、バス代を除くと100円ほど。

駅の構内で考えごとをして過ごすことに。

そして、考えごとに熱中し過ぎた為、始発を逃した。

馬鹿な。

あれほど待ち望んでいた始発だったというのに。

仕方なく、更に何分後かの電車に乗り、地元の駅へ。

バス停の時刻表を調べたところ、始発は一時間後だった。

馬鹿な。

ならばあと30分、漫画喫茶にいられたじゃないか。

そんなショックを受けている俺の傍らで、酔っ払いのオッサンが警察官に何やら絡んでいた。

帰ろう。

結局、雨の中を徒歩で帰宅。

そして、腹を壊した。

ああ、残りの300円で傘を買えば良かった。

2006年7月19日 (水)

最前列の報酬

夜、六本木のmorph-tokyoでお笑いのライブを観た。

偶然、受付で友人に会い、並んで立ち見。

途中、司会の方が「最前列が二席空いてます」と勧めてくれたので移動。

結果、レッドキング。という芸人さんに舞台上に上げられ、少しいじられるはめに。

何故か百円もらいました。

友人はというと、最鋭輝(ムーディスト)という歌手の方に紙テープを渡され、それを舞台に向かって投げ入れていた。

「モッキー!」と叫びながら。

まあ、その友人というのはラムネ☆天色堂の座長、日沖和嘉子嬢なのですが。

休憩中、和嘉ちゃんに里香ちゃんのご友人を紹介され、御挨拶。

本番終了後、出演されていたラムネ☆天色堂の神之田里香さん、ひげ太夫の吉村やよひさん、成田みわ子さん、みそさん、田嶋繭子さん、林直子さんに御挨拶。

あ、ひげ太夫さん全員だ。

ちなみにレッドキング。さんから頂いた百円は、帰りの電車の切符代の足しにしました。

2006年7月18日 (火)

凍えっ放し

午前中、新宿の定食屋でサンマ定食を食べ、イタリアン・トマトで台本書き。

雨が降っていて涼しいにも関わらず、定食屋でもイタトマでもエアコンが強く、冷たい風に凍えた。

店員さんに「もし弱く出来たら」とお願いしたところ、「はい」と返事をしてくれた。

が、たいしてエアコンの調子は変わらず、終始凍えっ放しだった。

昼頃、映画を観て、タワーレコードでCDを試聴しまくり、芝居で使えそうなのを二枚購入。

その後、池袋で友人とカラオケ。

もちろん、エアコンはつけなかった。

高いキーの曲を歌い、何度も声が裏返り、苦笑。

のどが少し潰れた。

2006年7月17日 (月)

節制

ひたすら雨が降っていた。

交通費以外の金を270円しか使わなかった。

150円+120円。

飲み物代だ。

こんな日があってもいいと思った。

2006年7月16日 (日)

知人からニンテンドーDSを借りて遊び、時間を浪費。

やはり、ああいったゲーム機は危険だ。

猿と化してしまう。

昔は、たとえテレビゲームにハマったとしても時間の浪費だなんて感じなかった。

今はもう、「やばいから離れないと」となる。

適度に遊べる人もいるのだろうけど、俺の場合は完全に没頭してしまい、他のことが手につかなくなる。

その歴史は、小学二年生から始まり、二十歳になる前が最後だった。

ファミコン、ゲームボーイ、スーパーファミコン、NINTENDO 64と、そのあたりまでは飯を食うのも忘れてやりまくっていた。

その麻薬状態から抜け出したのは、今思うと、芝居を始めたからだろう。

いい感じに目が逸れたものだ。

現在は一応、PS2を持っているが、ゲームは全くやらない。

完全にDVDを観る為の機械と化している。

大体、ソフトを買ったことがない。

また手を出したら危険だなあ。

だって、やり始めたらやっぱり、面白いんだもん。

今や、DVDを観る時の、コントローラーの扱い方すらおぼつかない。

ボタンが多くて。

なんて、すっかりオッサンとなっている。

少しだけ名残惜しい気もするけれど、テレビゲームからは離れられて良かったと思う。

煙草もそんな感じにやめられないだろうか。

金出して臭い煙吸って馬鹿みたい。

そう思ってたんだけどなあ、テレビゲームをやっていた頃は。

2006年7月15日 (土)

長い夜

深夜、眠ってから一時間ほどで目が覚めた。

痒い。

右手の人差し指と親指の股の部分を、蚊に刺されたようだ。

痒い。

痒くて痛い。

ひたすら痛い。

と、みるみるうちに症状は変化していき、その痛みは眠気を凌駕した。

そして暗がりの中、ひたすら痛みを耐えていたところ、

「ブ~ン・・・」

という、蚊の羽音がした。

すかさず俺は己の耳元を叩いた。

叩いて飛び起き、部屋の灯りを点け、キッと辺りを見回した。

蚊は、どこだ。

どこだ、蚊は。

全然見つからない。

コンタクトレンズを外していたので無理もないのだが、影も形もなかった。

仕方がないので、とりあえず指の股にウナクールを塗り、薮睨み状態で再び蚊を探し始めた。

きっと、その時の俺は恐ろしい形相だったことだろう。

そうこうしているうちに今度は、左足のかかと、そして、右足の甲が痒くなってきた。

野郎、下にいやがったか。

すかさずしゃがみ込み、部屋の隅々まで蚊を探した。

が、見つからない。

痒い。

とてつもなく痒くなってきた。

痒さに悶えつつ、左足のかかとと右足の甲にもウナクールを塗りたくった。

塗りたくって驚いた。

なんと、左足のかかとは二ヶ所も刺されているではないか。

畜生、味な真似しやがって。

俺は激しく憤った。

そして、ついにコンタクトレンズを装着。

憎い蚊を本格的に探しに掛かった。

と、今度は右腕の肘の内側に痒みを感じた。

見ると、赤く腫れていた。

気づかなかった、いつの間に我が本陣へ。

俺の怒りは頂点に達し、声にならない叫び声を上げた。

怒りを発散し、冷静に考えた。

自分から動き、探し回るのでは駄目なのだ。

そこで作戦を練り、実行した。

布団の上で体育座りをし、己の肌が露出している部分を、つまり、Tシャツにスウェットという姿だったので両方の二の腕や足首から先を、自分の目の届く範囲にさらけ出し、蚊を誘き寄せ、退治することにしたのだ。

さあ来い、決着をつけてやる。

俺は両腕を前方に伸ばし、両目をカッと見開き、神経を研ぎ澄ました。

そして、長い長い沈黙が続いた。

結局、蚊は姿を現さなかった。

どうやら奴は、俺から吸い取った大量の血で満腹になっていたようだ。

なんだったんだ、この体育座りの時間は。

事情を知らない人が見たらきっと、ヨガでもやっているように見えたことだろう。

逆だ。

全然気持ち良くない。

伸ばしっ放しだった両腕は疲労し、尻は痺れ、両目が乾いた。

逆ヨガだ。

不毛過ぎる。

俺は馬鹿馬鹿しくなり、再び眠ろうとしたが、すっかり目が冴えてしまっていたので、パソコンを開き、台本を書くことにした。

そしてキーボードをカタカタと叩いていると、なんと、目の前にフラフラと蚊の野郎が現れたではないか。

てめえ、小腹が空いたもんだからってノコノコと出てきやがったな。

怒り沸騰。

ここで会ったが百年目、これを逃したら次はないぞと、必死に追い掛け回した。

が、暗いほうへ、手の届かないほうへと飛ばれ、逃げられるはめに。

脱力。

最悪だ、眠いのに眠れないなんて。

結局、朝まで台本を書きましたとさ。

2006年7月14日 (金)

ゴクゴク

夕方、下北沢のトリウッドで映画を観た。

最初、スズナリの隣にある映画館と勘違いし、酷暑の中を遠回りしてしまい、参った。

遠回りしつつ、紙パックのジュースをゴクゴク飲んだ。

その後、うどんが食べたいと思い、下北沢の街をウロウロしてみたが、結局いい感じのうどん屋が見つからず、定食屋でさばのみそ煮定食を食べ、新宿へ。

THEATER/TOPSでエイチ企画の芝居を観た。

終演後、舞台監督をされていた青年座の尾花真さんに御挨拶し、制作をされていた三沢一世さんと食事に。

「のど渇いちゃった、ビール飲みたい!」

と、美味そうにビールを飲んでいた。

そして、ひとくち目がゴクゴクと長かった。

俺はおとなしくアイスカフェラテ。

一世ちゃんとは、とあるワークショップで知り合って以来の仲。

久し振りに会えて嬉しかったし、相談ごとなんぞをさせてもらえて良かった。

2006年7月13日 (木)

鳥肌の立たせ合い

夜、池袋の居酒屋で、projectサマカトポロジーの澤唯さんと飲んだ。

まともにお話するのは初めてだったけれど、澤さんも劇団の主宰で、作、演出、役者をされている方なので、シンパシーをビシバシと感じてしまった。

といっても、俺はあとから追い掛けている立場ですが。

で、

「○○って作家だったら何が好きですか?」

「○○って作品が好き」

「うお、僕もですよ!」

といった具合に、好きな作品がぴったり同じだったりして、

「それ言うかなって思ってた!」

などと、お互いに鳥肌を立たせたりした。

俺のほうが全然、読書量は少ないと思われますが。

劇団での様々なポジションの経験談を聞けたこともあり、とても楽しかった。

今度は映画の話をしてみたいな。

2006年7月12日 (水)

それぞれとのミーティング

深夜、チュウキとケータイでミーティング。

会ってないからミーティングとはいわないか。

相談ごと。

朝、新宿のコーヒーショップで台本書き。

昼過ぎ、エバちゃんとのミーティング。

台本を読んでもらって感想を聞いたり。

夕方、前々から約束していた林竜三とのお茶会。

その途中、エバちゃんがメールで台本の為のアイデアをくれた。

採用でした。

感謝。

夜、マジリンとミーティング。

珍しく一杯引っ掛けてきたとのことで、顔を少し赤くし、目が潤んでいた。

黙っていれば色っぽい感じなのに、妙にハイテンションとなっており、面白がりながらも苦笑。

マジリンにも台本を読んでもらい、感想を聞いたり。

いやはや、メンバーそれぞれと話し合ったことで色々なことに狙いが定まった。

一人一人とじっくり話すのもいいかもしれない。

ただ、睡眠不足で参ってしまった。

結構慣れてはいるけれど、30時間くらい不眠だったもので、帰りの電車では若干ふらついた。

目の下には、くま。

気をつけよ。

2006年7月11日 (火)

ちょっとした問題

前日の夕方にちょっとした問題が起きてしまった。

急遽ミーティングの時間を設けようと、メンバー全員のスケジュールを調整しようと努力したが、出来ず。

それぞれと話し合って作戦を立てることにした。

2006年7月10日 (月)

新宿カラス事情

朝、新宿の街を歩いていたところ、並木の傍にカラスの死体が吊るされているのを発見した。

誰だ、こんな悪趣味なことをする奴は、と近寄ってみると、すぐ上にこんなことが書かれた黄色い紙が吊るされていた。

「これは人形、かかしです」

・・・は?

意味がわからない。

かかしっていうのは普通、カラスに対して人間っぽいのを立てるんじゃないの、逆だよ逆、などと突っ込みつつ、ふと下を見ると、同じくこんな紙が貼られていた。

「この場所で、ごみのカラス被害を防止する為にカラスの人形を吊り下げ、実験、検証を行っています、皆さまのご理解と、ご協力をお願い致します」

・・・見せしめ?

どうやら、駅前商店街の組合と新宿区の清掃事務局が手を組み、このような作戦でごみを荒らすカラスに対して挑んでいるようだ。

そういえば、カラスのかかしが吊るされているのは丁度、ごみ捨て場の上だ。

つまり、

「このごみ捨て場を荒らしたら、こいつみたいにお前らも殺して吊るすぞ」

という強烈なメッセージが込められていたわけです。

超バイオレンス。

まるで国際テロ組織のようなやり口ではないか。

こんなにもグロテスクな案が会議で通ったとは驚きだ。

にしても、カラスのかかし、リアル過ぎ。

いや、本当に精巧に作られているのです。

子供が見たら泣き叫び、トラウマになってしまいそうだ。

まあ、よっぽど酷い荒らされ方をしているのだろうとは思いますが。

とりあえずケータイで撮ってみた。

隣では清掃局の職員さんがデジカメで記録用の写真を撮っていた。

俺が「凄いですね、これ」と言ったら、「ええ、まあ」と苦笑。

迷惑を被っている当事者でないと実感できないこともあるのだろうな。

どうだろう、カラスは上手く騙されてくれるだろうか。

かかしを吊っただけでは効果がなかったら、そのうちバサバサと動いたり、カァカァと鳴いたりするように改良されていきそうだ。

そうなったら、いたちごっこならぬ、カラスごっこになってしまう。

しかし、よくよく考えてみると、もしもこの実験が成果を上げたとしたなら、いずれは新宿の街のいたるところに、カラスの見せしめかかしが吊るされることになるのではないか。

もしかしたら東京23区で、いや、日本全国でカラスのかかしを吊るすことになるかもしれない。

それはきっと、もの凄い光景となることだろう。

成功して欲しいやら、して欲しくないやらです。

2006年7月 9日 (日)

救出劇

起きてすぐに部屋の片付けの続き。

要らない物や着ない服を片っ端からゴミ袋へ捨てていった。

汗、じんわり、ベタベタ。

なんとか床が見えた。

どんだけ散らかってたんだよ、といった感じだが、実際、酷い有り様だった。

そしてようやく、昨日から探していたブツを発見。

おおっ!って少し叫んだ。

叫んだあと、照れた。

長い間、一人ぼっちにさせてごめんよ。

まあ、資料として提出する物なので、すぐに別れはくるのだけれども。

しかし、まだまだ部屋は片付かない。

が、気分はいい。

部屋の片付けって、いい気分転換になるんだな。

台本も書かないとアレなので、少しずつやることにしよっと。

2006年7月 8日 (土)

感謝の日

夕方、美容院で髪を切り、たこ焼きを食べた。

その後、探し物が見つからず、どうしようもなかったこともあり、部屋の中を整理整頓。

結局、未だに見つからないが、怪我の功名で部屋が少し片付いた。

明日は徹底的に片付けてしまおう。

そして本日、29歳になりました。

お祝いのメッセージをくださった方々、ありがとうございました!

感謝です。

二十代の最後、三十路までの一年間を悔いのないよう突っ走って参りたいと思います。

2006年7月 7日 (金)

豆腐が好きだ

徹夜明けの早朝、制作面で危うく手遅れになり掛けた事柄を発見し、慌てて午前中、方々に連絡を取り、書類を作成。

午後、泥々になって眠った。

夜、晴れの七夕。

うな重と豆腐を食べた。

最近、豆腐が好きだ。

あの冷たさ加減と健康的なところに惹かれる。

女性に関しても同じだな。

嘘。

現在、台本の進み具合は、全体の四分の一ほど。

相変わらずの牛歩ながらも見えてきたものがある。

稽古前の9月半ばまでには仕上げないと。

楽しいけれど、苦しい。

頑張れ、俺。

2006年7月 6日 (木)

アイスが美味い

アイスが美味いっす。

湿布を買い忘れた。

一昨日の稽古のお陰で、ずっと筋肉痛。

走るのと階段が辛い。

妙な感じにひょこひょこしてしまい、情けない。

戯曲を一冊、Amazonで取り寄せた資料を一冊、エバちゃんが資料としてくれた雑誌二冊を読んだ。

感謝。

夜、台本書き。

2006年7月 5日 (水)

どうぞお見知りおきを

今年の11月に旗揚げする劇団の劇団名のことなのですが、ラズカルズと名付けました。

「○○○○ズっていうふうに、ズを付けたいよね」

とか、

「言葉に意味がないのがいい」

とか、

「音の響きが良いのがいい」

などと、劇団のミーテイングの度にかなりの時間を使って話し合い、沢山の候補が上がった中から決めました。

しかし、その後、マジリンが客演した公演の当日パンフレットに載せて頂いた、今後の出演情報では、

「らずかるず」

と、間違って記載。

俺はそれを読んだ客席で一人、「ずうとるび」みたいだな、と突っ込み、苦笑。

そして、エバちゃんが客演した公演の当日パンフレットに載せて頂いた、今後の出演情報では、

「ラルカルズ」

と、これまた間違って記載。

「ル」じゃなくて「ズ」なんです!

などと心の中で叫びつつも、まあ、そっちでもいいかな、なんて思ったりして。

いえいえ、ラズカルズです。

どうぞお見知りおきを。

2006年7月 4日 (火)

サバンナのサイ

夕方から劇団の稽古。

まずはチュウキの仕切りによる身体起床を一時間。

音楽を流しながら。

段々と難しくなっていく動きに、奇怪な動きを交えながらも、笑顔で喰らいつくマジリン。

「マジリさんすごいなぁ、ちゃんと一生懸命やるんだもん」

と呟くエバちゃん。

「いや、江原さんもちゃんとやってください」

と突っ込むチュウキは、身体を動かしつつも、流している曲が終わりそうになると、すかさずCDプレイヤーへとダッシュし、←ボタンを押していた。

何故か、曲終わりに敏感。

その姿を見て、火を見ると己の身体で必死に消しに掛かる、サバンナのサイが頭に浮かんだ。

エバちゃん曰く、

「あんなに生き生きしてるの初めて見た」

いいのか、それで。

そして今回もクジ引きエチュードを沢山やった。

一巡目は二人一組を総当り。

二巡目は三人一組を総当り。

本当は最後に四人全員でのもやりたかったのだけど、残念ながら時間切れ。

あとでチェック出来るようにとビデオ撮影をしておいたのだが、見たくない人、多数だった。

いえ、結構面白かったのですが、このままじゃコント作品にはならないので、エバちゃんにコント番長となってもらい、次回、新たな方法を取り入れ、再度チャレンジすることにしました。

2006年7月 3日 (月)

マクベス夫人のように

足の臭いが気になって仕方ない。

サンダルを洗ったのでとりあえずは大丈夫なんだけど、一度、嗅覚を刺激されたもので、その記憶が強烈に残ってしまっている。

俺は鼻炎気味なので鼻は利くほうじゃない。

しかし、そのことが却って不安を大きくさせる。

俺は気づいてないけど、近くにいる人は、

「あいつ足臭いんだけど」

なんて思ってるんじゃないかと、疑心暗鬼になってしまうのだ。

そのうち、マクベス夫人が血で汚れた手を夢遊病状態で洗ったように、俺も臭い足を眠ったままの状態で洗い出すのではないだろうか。

2006年7月 2日 (日)

異臭

なんか臭いと思ったら、俺の足だった。

素足にサンダル。

一見、爽やかな雰囲気の組み合わせだが、とんでもない。

この臭いを嗅がれたら、きっと引かれる。

引かれて、嫌われる。

サンダル、洗って乾かそう。

どうでもいいけど、足の臭さを確かめようとし、両手で左足首を持ち、鼻に近づけたところ、足がつった。

たった一人、無言で悶えてしまった。

足の臭さにもだが、己の身体の硬さにも失望した。

2006年7月 1日 (土)

憧れの人

松本きょうじさんは、俺にとって憧れの演劇人であり、恩人だった。

初めてお会いしたのは今から9年前。

加藤健一事務所に俳優教室生として通っていた頃、きょうじさんが講師としていらした。

一回目のレッスンで同期の女性陣のほとんどがきょうじさんのファンとなり、二回目のレッスン時間の前には稽古場の大きな鏡の前で一同、ジャージ姿で化粧をしていたのを覚えている。

レッスンの内容は、沢山の種類のエチュードや、「自分の大好きな物を持ってきてそれについて語る」といったものがあり、毎回を一生懸命に、楽しく遊んだ。

役者としてのきょうじさんのファンとなったのは、「トーチソング・トリロジー」という芝居にスタッフとして付き、初めてその演技に触れた時だった。

本番中、暗転となり、舞台上から下手袖にはけてくるきょうじさんから、小道具のワインボトルを受け取るだけのやり取りでも緊張したし、ほんの少しの言葉を交わしただけでも喜びを感じた。

その後、俳優教室を卒業してからしばらくの間、出演の誘いなど全くなく、オーディションには落ちまくり、ただ漫然とバイトに明け暮れるだけだった俺に、突然、電話をくれ、自身が演出された「愛の眼鏡は色ガラス」という芝居に誘ってくれたことには、今でも感謝しているし、本当に嬉しかった。

「俺が演出だからいいだろ?」

もちろん二つ返事だった。

きょうじさんが「マンハッタンの女たち」という芝居に出演した時には、スタッフとして付いた。

ある日、稽古後に手の掛かる小道具を作っていたら、

「それどうやんの?」

と、こちらからお願いしたわけでもないのに進んで手伝ってくれた。

無数の小さなビーズの穴に、ひたすらナイロンの糸を通す、といった地味な作業だった。

老眼気味だったからか、若干、手こずっていた。

こんなこと書いたら怒られるかな。

そういえば、俺が名前を松本たけひろと変えたあと、「僕も下の名前を平仮名にしたんですよー」と報告したら、きょうじさんに真顔でじろっと睨まれた。

「真似すんじゃねぇよ」

なんて怒らせちゃったかなと思ったら、

「ふーん」

と、なんだか挑戦的に微笑んでいた。

「きょうじさんの名前は漢字で書くとどんな字なんですか」と訊いたら、

「国構えの右がないのに王様の王ってかくんだよ、だから俺は王様なんだ」

と、不敵な笑みを浮かべていた。

「はあ、凄いですね」と感心するしかなかった。

俺が初めてプロデュース公演を打つことを決め、その準備を進めていた頃、きょうじさんに台本を送って読んでもらい、「作、演出、出演を兼ねてやるのは自信がないし怖いので、演出は他の誰かにお願いしたいと思っています」と電話で相談したところ、

「ちょっとわかりにくいけど、このホンだったらお前が自分でやるべきだよ、俺だって劇団で8年間、全部やってたし、失敗が怖いって言うけど、失敗も成功もないんだよ、あるのは青春だけなんだから、それに、お前がそんな公演をやるって聞いて嬉しいよ」

と言ってくれた。

心細くて不安で仕方なかったので、その言葉には涙が出た。

もちろんそれは、きょうじさんだったから可能だったことであって、俺には到底無理なんじゃないかとも思ったけれど、あの人が言うと青春だなんて少しくさい言葉にも、やたらと説得力があり、それがとても魅力的なことに思えた。

「ああ、俺も青春やりてえ」と希望が湧いた。

そして、複数の役割を実際にやっていく上での、俺が心掛けていくべきことなども沢山アドバイスしてくれた。

きょうじさんの教えは全て書き留めておき、稽古で悩んだ時には読み返し、自分に言い聞かせた。

それがなかったら、どこかで心が折れてしまってたかもしれない。

「見よ、飛行機の高く飛べるを」という芝居の時には、ついに共演者として御一緒することが出来た。

が、全く絡みのない役どころだったので、他の役者さんたちが羨ましかった。

打ち上げの時、好きな映画の話で盛り上がったのを覚えている。

きょうじさんはお酒が入ると饒舌になり、何故か俺などにも敬語で話し出し、同じ話題が何度か繰り返し、ループした。

機嫌の良い時は別として、その日初めて会った時は大抵、無口だった。

割とがっちりとした体格にも関わらず、渋い猫背で色気があった。

一昨日の夜に、きょうじさんの訃報が入ってからずっと、実感が湧かなかった。

もちろん悲しさはあったが、涙は流さなかった。

あんなに大好きな人だったのにどうしてだろうと思っていた。

告別式が始まり、お坊さんがお経を唱えている最中、きょうじさんが役者として、演出家として活躍した数々の舞台のこと、稽古場や劇場や居酒屋で一緒に過ごした時間、教わったこと、叱られたこと、馬鹿話をしたこと、沢山の思い出が甦った。

全然実感はなかったけれど、棺の前で手を合わせ、お顔を見たら、泣けて泣けて仕方がなかった。

ありがとうございました。

そんな言葉しか出てこなかった。

きょうじさん、短い間でしたが、あなたからは本当に多くのことを学びました。

あなたと出会えたことに、心から感謝します。

ありがとうございました。

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